コミュニケーションについて最近なんとなく考えること

 

いつものことながら自分語りです。

 

私が生きてきたのは2000年代で、つまりコミュニケーションの形が昔と今で違うのならば私は今の形しか知らない。今の形について、「承認をめぐる病」という本に「毛づくろいのようなコミュニケーション」という言い方が出てくる。もう少し違う言い回しだったとは思うけど。この比喩は凄く、わかる。そして同時に、では毛づくろいでないコミュニケーションとはなんだろう、とも思う。

文を書いたり話したりする時、知らない文の形は使えない。文にも決まった形があり、自分の表現したいことに合うものを探してそれを加工して使っているにすぎない。これはコミュニケーションにも言えるんじゃないか。コミュニケーションにも決まった形のパターンがあり、その場面、気持ちにあったものを使うしかできないのではないか。

 

経験から、「決まった形に沿うだけのコミュニケーション」とは違う「好きなように形を作るコミュニケーション」があることを知っている。話している時もこれがどちらのコミュニケーションなのかはわかる。心地のよさは人によるかもしれないけど、私が好きなのはもちろん後者だ。そして、後者の会話に必ずあるのは思考と発見だと思う。同じ題材について考えること、それを共有すること、その中で発見をすること。これだけなのに、これだけが凄く難しい。考えることが苦痛じゃない相手、お互いに興味の持てる題材、お互いの思考を理解できること、発見を喜べること。全部難しい。相手のことを好きじゃなきゃいけない。興味がなきゃいけない。だけどたぶん最もなおすべきなのは、決まった形のコミュニケーションじゃ相手を楽しませられないことなんだよね。

 

きっと今までどういう人たちとコミュニケーションを取ってきたかで知っているパターンが変わる。年上とばかり話せば年上と話すパターンを学ぶし、同年代とばかり話せばそのパターンを学ぶ。話さなければ会話のパターンを知らない。だから環境が変わっても交友関係の中身が変わっても、周りにいる人のタイプが大幅に変わることはないのだと思う。相手に楽しませてもらうパターンの会話ばかりしてきたのかもしれない。それとも、私が楽しませる側に行く時期になったのか。

 

なんとなく感じることをちゃんと言葉にするって難しい。ほかの人が読んでどう思うかを考えると余計に難しい。言語化の練習だと思って頑張ります