病み垢界隈とかファッションメンヘラとかを見かけて、たまに自分と比べてしまう。

自分のつらさを他人にわかってもらえるのもひとつの能力なんだと思った。つらいのに、わかってもらえないなと感じる。自分で自分が甘えてないと言い切れないから、自分の中で甘えてないかどうかの葛藤があるから、他人につらいアピールができない。甘えてるだけだから。

誰も知らなくていい。私の腕に傷跡があることとか、机の中にたくさんの空き瓶があることとか。誰も知らなくていい。これは自分がつらいことを、自分に証明するためにしたことだから。自分がつらいのかわからないから。腕を切れば自分はつらいと証明できる気がしたし、たくさんの薬をのめば、空き瓶は証拠になってくれる気がした。他人につらさをわかってもらえなくていい。ただ私が今つらいことを、他人に認めてほしい。自信が持てないから。他人の同意なしでは自分の気持ちさえ認められないような人間になってしまったな。

 

他人に君はつらくないよ、と言われたらつらくないわけでもないな。他人が認めてくれなくても、私の中につらさは確実にある。皆がこんなに苦しいはずないと思っている。今はもう随分とマシになったけど、思考のクセはとれないし、常に自分が悪いと思うのもやめられない。むしろどうして全部他人のせいにできるのか不思議でならない。

皆は腕に蚯蚓脹れみたいな傷跡がある?皆は机の中にたくさんの空き瓶がある?こうやって証拠として突きつけるためにしてきたわけではないはずなんだけど。

でも、切る時はもっと深くしないと誰もつらさを認めてくれないと思ったりもしたな。気づいて、助けて、って気持ちが確かにあった。

 

空き瓶は捨てればなくなるけど、傷跡はなくならない。私の人生がつらかった証拠として今後も必要になるし、足りなければ増やすかもしれない。幸せな人生が遠い。待ってくれないし、まだまだ健康にもなれない。好きだと思える人がいてよかった。