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正しく生きる

 

自分がされたいことを他人にするみたいな、そういう面があると思う。特に認めることに関して。つまり私の他人への承認は、自分が承認されたいがためのものなのかもしれない。自分が許されたいから、他人を許すのかもしれない。

ずっと許せないことがある。でもどうしようもないからもう許そうと思った。そのころの当事者たちには、それが最善だったんだ。当事者たちの苦しみをその時の私は理解できなかったから、私にも非はあるから。

正しく生きたいという欲求が凄く強い。正しく、ちゃんと、優しく生きたい。

昔からそう思っているけど、いろんな経験をするにつれて、頑張れない人がいることを知ったし、人の意思と行動は必ずしも一致するわけではないことも知った。他人を許すためのたくさんの事実を知った。他人を許すことは正しいことだから。

でも誰も私を許してくれないな、と思う。他人に求めてしまうのがいけないけど。「あなたはあなたなりに、正しく頑張って生きているよね」という承認。きっとみんな心のどこかで、私のことを甘えている人間だと思っているんだ。正しく生きてないと思っているんだろ?

 

こういう点で、いつも諦めてしまうな。私が得たい承認を与えてくれる人じゃないってわかると、その人と関わるのがしんどくなってくる。間違ってるなら間違ってるでいいし、意見があるなら言えばいいのに。正しく生きたいという欲求が強い人じゃないとダメなのかもしれないね。他人と関わることでなにを得たいんだろう。

難しく考えるのが癖だから、ついつい理屈っぽくなっちゃう。ひとりで生きられたら楽なんだけどな、

ちゃんと生きねばならない

 

なにを目指しているのかよくわからない。いつも頭の中に自分を責める自分がいて、ちゃんと生きていないと怒られる。そんなんじゃだめなんだって、もっと頑張ってちゃんと生きなきゃいけないよって怒られるんだ。

 

ちゃんと生きるってなんだろう。いつも完璧主義が顔をだしてくる。全部、全員、頑張らないといけない。そんな力も余裕も私にはないのに。ひどく焦っている。もうみんな大学入試のために勉強しているのに、私は未だに勉強するだけの余裕が無い。私は病気なんだ。どうして病気なんだ。どうしてすぐに治ってくれないんだ。どうしてこんな頑張れないんだ。

 

やればできる、ってずっと言われてきた。その言葉に縛り付けられている。やればできるんだから、やりなさいって言われているんだ。やってもできない子もいるし、やらなくてもできる子もいるんだから、あなたは頑張らなきゃいけないのよって言われている。私は頑張らなきゃいけないんだ。

 

頑張れないのは病気のせいだよって何回も何回も自分に言い聞かせているんだ、甘えてないよ、サボってないよって。でも私がどんなに自分に言い聞かせたって、他人からの少しの刺激ですぐに「頑張らなきゃいけない」って思ってしまう。誰もわかってくれないってずっと、ずっと思ってる。「頑張ってるよね」って言ってもらえないよ。私はこんなに主張してきたのに。

 

他人の努力を簡単に評価してはいけないこととか、頑張れないとはどういうことか、をずっと主張してきた。うまく届かないみたいだ、やっぱり難しいし、私はこういうことが下手なんだなと思う。それとも、ちゃんと生きてない私の言葉なんて、真面目に受け取る必要がないのかな。

ちゃんと生きなきゃいけないんだ。ちゃんと生きて、未来の私がもっと成長しなきゃ、今の私が苦しい意味がないんだよ。

 

また他人に求めている気がする。他人に押し付けたり、求めたり、いちばん嫌いなんだけどね。それじゃ解決しないもの。

私は病気です、免罪符にしてもいいですか。私は病気なので今はちゃんと生きられません。私に甘えているとか、サボっているとか、ちゃんとしなよって言わないでください。頑張れないことを許してください。