読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

どうしようもないこと

 

人を羨ましく思う時がある。私がどう頑張ってもできないことを簡単にやってのけてしまう人が多くて、できないに対する理解も得られず、息苦しいまま生きていくしかないのかな。すぐに諦めてしまうのはよくないことかもしれないけど、できないに対してもっと寛容な世界がいいな。それぞれ違う自動車で、最初から壊れている人もいて、そんな中なのにみんなが同じコースを同じスピードで走るなんて無理だと思うの。

いくつか病気が見つかって、その度に安心する自分がいる。やっぱり私甘えてないんだなって、私が感じてきた違和感はおかしくなかったんだなって、自分を肯定されたような気持ちになってしまう。ずっと頑張れなくて、頑張ってもできないことで怒られて、もう散々だったなあ。どうして私なんだろう。前世で人でも殺しちゃったかな。

どうしようもないことを目の前にして、それでも他人を責められる人と一緒にいるのがつらい。相手の立場で考えればわかることなのに感情のまま怒る人が嫌だ。誰も悪くないのに誰かを悪者にして吊るし上げたい人がこわい。私、生きていくのに向いていない。

 

でも人と喋るのが好き。みんなが思うこととか、知ってることとか、下らない話とか、そういうことが好き。話を聞いてもらうのも好き。上手に話をするのはまだできないことだけど、少しずつお互いに楽しい会話ができるようになりたいと思う。

一般的な努力は凄く苦手だけど頑張ることは好き。なにかを一生懸命やることってこんなに楽しいんだなって。私は友達と一緒にやる方が好きみたい。

好きだけど苦手みたいなこともたくさんあるし、どうしようもないことがいっぱいあって苦しくなるけど、少しずつできることを増やしていこうと思う。他人に迷惑をかけたり、助けられたりが多いけど、きっとそれを避けては生きていけない。まだ上手く生きれないけど、いつか上手に生きれるようになれたらいいな

部活をやってて思ったことまとめ

 

人にはいろいろな価値観や抱えてるもの、得意不得意があるなって最近よく感じます。だからこそ、人に優しく自分に厳しくいたいと思う。

みんな、自分の持っているものを他人に求めすぎなんです。遅くに寝ても起きれる体力、疲れてても頑張れる気力、朝早く起きれること、誘惑に負けずにいられること、これらは全部たまたまもっている体力や環境、自分への自信、周りからの好意、そういうものがそうさせているにすぎないのに。自分がたまたまできるだけのことを、みんな他人に求めてしまう。私だってそうです。

努力を努力じゃないって否定するつもりは無いし、たまたま持っているものは持っていてラッキーって思ってていいのだけど、そもそも努力ができない人がいること、みんなが当たり前にできることを努力してもできない人がいること、そういうことを忘れたくないし、忘れないでほしい。


もしかしたら、家族関係が上手くいっていないのかもしれない。自分より体力がないのかもしれない。誰も気づいていないだけで病気になっているかもしれない。もともと苦手なのかもしれない。どうしようもないことに縛られて、どうしてもできないことってあるんです。
誰かが遅刻した時に、まずは「大丈夫?なにかあったの?」って聞いてあげてほしい。そのあとに、寝坊しちゃってって返ってきても、「そっか、疲れてたんだね」って言ってあげてほしい。寝坊が続いてしまうようなら、一緒にどうしたらいいのか考えてあげてほしい。そして本人も周りの優しさに甘んじることなく、深く反省してほしい。そういう関係がいちばんいいのだと思います。

 

甘やかしてるとか、そんなふうだとどんどん緩くなっていく、って言われるかもしれないけど、みんなが自分の仕事を一生懸命やっていられるならゆるくなっていかないと思います。みんなが頑張ってる中でサボるなんて難しいもの。そういう人はきっとわざわざ部活なんてやらないです。
他人を責める権利なんて誰にもないです。みんなできないことはあるから。他人のできないことを責めていいのはなんでも完璧にできる人だけです。


たぶんこれって理想論だし、極端に言うなら私は自分が責められたくないからこんなことを考えます。私はどうしてもできないことがたくさんあるから、それを許してほしいし、他人のことを責められないです。私にそんな権利はないです。私にできるのは、大丈夫だよって許して、一緒に反省することだけです。
私はこんな世の中だったらいちばん頑張れるなって思います。みんな頑張れるなら頑張りたいと思います。成長したいだろうなと思います。
どんな失敗も、できないことも、許してあげてください。失望しないで一緒に対策を考えてあげてください。どうしてもできないことは、誰かが代わりにやってあげたり、手助けしてあげたりしてください。


私は部活をこういうふうにできなかったです。というか、最近やっと気づいたから、遅かったです。残り少しでこういうふうにできたらいいなって思ったりもしてます。私はこれからも誰も叱らずに、その代わりに一緒に反省しようと思います。それが私の仕事なんだと思います。

おわり

 

誰にでも優しくとか、1人でも強く生きれるようにとか、求められるものって実際は不可能なものばかりだ。誰にでも優しくしたくても許せない人はいるし、1人で生きたくても1人ではできないこともある。

でも、なれないとわかっていても少しでも近づこうとするのって、凄く人間らしいなと思った。なれなくていいし、できなくていいんだけど、だからといって近づこうとするのをやめてはいけない。無理をする必要は無いし、過剰に頑張る必要も無いけど、周りが許してくれるからいいやってなってしまってはいけないよな、と最近思って、だから私はそういうふうに考えてなさそうな人が嫌いなんだと思った。

私が自分に課しているルールがあって、それは人として必要なものだと思ってるから、そういうルールを持ってなさそうな人と関わるのが本当に嫌だ。向こうにも向こうのルールとか、つらいこととか、そういうのがあるのはわかってるんだけど。

私はなににもなれないし、なにもできない。きっとこの先もそうだと思う。

 

病み垢界隈とかファッションメンヘラとかを見かけて、たまに自分と比べてしまう。

自分のつらさを他人にわかってもらえるのもひとつの能力なんだと思った。つらいのに、わかってもらえないなと感じる。自分で自分が甘えてないと言い切れないから、自分の中で甘えてないかどうかの葛藤があるから、他人につらいアピールができない。甘えてるだけだから。

誰も知らなくていい。私の腕に傷跡があることとか、机の中にたくさんの空き瓶があることとか。誰も知らなくていい。これは自分がつらいことを、自分に証明するためにしたことだから。自分がつらいのかわからないから。腕を切れば自分はつらいと証明できる気がしたし、たくさんの薬をのめば、空き瓶は証拠になってくれる気がした。他人につらさをわかってもらえなくていい。ただ私が今つらいことを、他人に認めてほしい。自信が持てないから。他人の同意なしでは自分の気持ちさえ認められないような人間になってしまったな。

 

他人に君はつらくないよ、と言われたらつらくないわけでもないな。他人が認めてくれなくても、私の中につらさは確実にある。皆こんなに苦しいはずない。今はもう随分とマシになったけど、思考のクセはとれないし、常に自分が悪いと思うのもやめられない。むしろどうして全部他人のせいにできるのか不思議でならない。

皆は腕に蚯蚓脹れみたいな傷跡がある?皆は机の中にたくさんの空き瓶がある?こうやって証拠として突きつけるためにしてきたわけではないはずなんだけど。

でも、切る時はもっと深くしないと誰もつらさを認めてくれないと思ったりもしたな。気づいて、助けて、って気持ちが確かにあった。

 

空き瓶は捨てればなくなるけど、傷跡はなくならない。私の人生がつらかった証拠として今後も必要になるし、足りなければ増やすかもしれない。幸せな人生が遠い。待ってくれないし、まだまだ健康にもなれない。好きだと思える人がいてよかった。

理想論

 

どうしようもなく完璧主義者だし、話すことは理想論ばっかでって人間なんだけど、なんというか「他人の善意」というものを信じすぎていたんだと思う。他人を思いやっているはずだとか、自分の欲のために他人を利用しないとか、正しく生きようとしてるはずだとか、残酷な人間なんていないと思いこんでいた。

それで傷ついたり、失敗したり、うまくいかなかったり、を繰り返しながら、他人の善意は信用に欠けると学んだ。私が思ういい人なんて、ほとんどいない。それどころか、他人のためにっていうのはどうやら間違っているみたいで、自分のために自分のことだけ考えるのがいちばん人間らしくて自分を大切にする生き方なんだって。そういう風潮の中で育ってきた。

長女なこともあって、自分のためっていうのはなるべくさけなきゃいけないことだったから、他人のために行動するのがいちばん当たり前で自分のためだと思ってたから、正直いきなりそんな風潮の中にいれられてしんどかった。自分をいちばん優先して大切にできる人がすごく羨ましかった。

他人のために頑張れる人間って、つけこまれやすいんだよね。利用されやすいというか、相手が他人のために動ける人じゃないと人間関係が対等にならない。

だからもうその風潮に染まろうと決めた。私を他人のために動ける人間になるように育てた両親すら、妹が大きくなると自分をだせるほうを優先して、妹の自己主張を優先して、我慢した私に気づいてすらくれないので、もう私が他人のために頑張る理由はないので。

 

そうやって自分のために生きようとして、今度は自分と自分が大切な人のために生きようと思った。1人じゃ生きられないから。大切な人のためなら頑張れるなと思ったので。

親の都合と世間の風潮と1人で生きられないことに振り回されながら、他人が怖くなっていく。他人が怖い。目の前の他人が私に善意を向けてくれないかもしれない。なにもしていないのに向けられた悪意に対して、無視すればいいのに、馬鹿みたいに傷ついて、自己嫌悪に陥る。スプラトゥーンって、いったん攻められちゃうと相手のとこだと動きづらいし、形勢逆転が難しいなって思ったんだけど、あ~人生みたいだなって。頭が悪いのでスプラトゥーンと人生が重なる。1回ダメになると、上を目指すのって難しいんだよね。そもそものチームとか環境もあるしね。ラッキーなことが起きて、形勢逆転できるかもしれないし、勢いに任せて勝っちゃう時ももちろんあるんだけど。

 

いつも話がそれる。たくさん荷物を背負わされて、しかも他人の目にはなかなか見えないもので、理解も配慮も協力も得られないまま、1人で背負って生きていくしかないんだろうか。荷物が重くても頑張れば歩けるでしょって言われ続けなきゃいけないのか。もう疲れたな。歩くけどさ。他人が怖い。私の知っている他人とは違って、実際の他人はわかってあげようって思ったりとか、相手を尊重したり大切に想ったりってことをしないみたいだ。私がこんな人間だから大切に想われないのか。1人で生きていきたい。1人で生きられるようになりたい。

正しく生きる

 

自分がされたいことを他人にするみたいな、そういう面があると思う。特に認めることに関して。つまり私の他人への承認は、自分が承認されたいがためのものなのかもしれない。自分が許されたいから、他人を許すのかもしれない。

ずっと許せないことがある。でもどうしようもないからもう許そうと思った。そのころの当事者たちには、それが最善だったんだ。当事者たちの苦しみをその時の私は理解できなかったから、私にも非はあるから。

正しく生きたいという欲求が凄く強い。正しく、ちゃんと、優しく生きたい。

昔からそう思っているけど、いろんな経験をするにつれて、頑張れない人がいることを知ったし、人の意思と行動は必ずしも一致するわけではないことも知った。他人を許すためのたくさんの事実を知った。他人を許すことは正しいことだから。

でも誰も私を許してくれないな、と思う。他人に求めてしまうのがいけないけど。「あなたはあなたなりに、正しく頑張って生きているよね」という承認。きっとみんな心のどこかで、私のことを甘えている人間だと思っているんだ。正しく生きてないと思っているんだろ?

 

こういう点で、いつも諦めてしまうな。私が得たい承認を与えてくれる人じゃないってわかると、その人と関わるのがしんどくなってくる。間違ってるなら間違ってるでいいし、意見があるなら言えばいいのに。正しく生きたいという欲求が強い人じゃないとダメなのかもしれないね。他人と関わることでなにを得たいんだろう。

難しく考えるのが癖だから、ついつい理屈っぽくなっちゃう。ひとりで生きられたら楽なんだけどな、

ちゃんと生きねばならない

 

なにを目指しているのかよくわからない。いつも頭の中に自分を責める自分がいて、ちゃんと生きていないと怒られる。そんなんじゃだめなんだって、もっと頑張ってちゃんと生きなきゃいけないよって怒られるんだ。

 

ちゃんと生きるってなんだろう。いつも完璧主義が顔をだしてくる。全部、全員、頑張らないといけない。そんな力も余裕も私にはないのに。ひどく焦っている。もうみんな大学入試のために勉強しているのに、私は未だに勉強するだけの余裕が無い。私は病気なんだ。どうして病気なんだ。どうしてすぐに治ってくれないんだ。どうしてこんな頑張れないんだ。

 

やればできる、ってずっと言われてきた。その言葉に縛り付けられている。やればできるんだから、やりなさいって言われているんだ。やってもできない子もいるし、やらなくてもできる子もいるんだから、あなたは頑張らなきゃいけないのよって言われている。私は頑張らなきゃいけないんだ。

 

頑張れないのは病気のせいだよって何回も何回も自分に言い聞かせているんだ、甘えてないよ、サボってないよって。でも私がどんなに自分に言い聞かせたって、他人からの少しの刺激ですぐに「頑張らなきゃいけない」って思ってしまう。誰もわかってくれないってずっと、ずっと思ってる。「頑張ってるよね」って言ってもらえないよ。私はこんなに主張してきたのに。

 

他人の努力を簡単に評価することの危険とか、頑張れないとはどういうことか、をずっと主張してきた。うまく届かないみたいだ、やっぱり難しいし、私はこういうことが下手なんだなと思う。それとも、ちゃんと生きてない私の言葉なんて、真面目に受け取る必要がないのかな。

ちゃんと生きなきゃいけないんだ。ちゃんと生きて、未来の私がもっと成長しなきゃ、今の私が苦しい意味がないんだよ。

 

また他人に求めている気がする。他人に押し付けたり、求めたり、いちばん嫌いなんだけどね。それじゃ解決しないもの。

私は病気です、免罪符にしてもいいですか。私は病気なので今はちゃんと生きられません。私に甘えているとか、サボっているとか、ちゃんとしなよって言わないでください。頑張れないことを許してください。