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ズレ

 

下書きが溜まっているので消化していきたい……。ブログを書くのは楽しいし、ブログの内容はきっとすごく私っぽいんだろうな。Twitterやブログで、意識しても自分らしくない振る舞いができない。自分自身を見てほしい気持ちが強いからわざとらしくないことをするのに価値を感じない、できないというよりめんどくさくなっちゃうんだな。

誰しもが、多かれ少なかれほかの人と違うというステータスを必要としていると思う。特別な存在でありたいという欲求。普通に幸せになりたいと願える人にとっては、普通に幸せであることが特別なことなのかな。私が今ほかの人と違う存在であることを証明してくれるものはなんだろう。いくつか思いつくし、私は自分がみんなと違うことをアピールする方法を知っている。私が得意で、そこらの人には負けないものを知っている。そして、それを知るまでは違う方法でアピールしていたから、今同じことをしている人の気持ちが手に取るようにわかる。わかってしまう。

他人との違いを作る最も簡単な方法は、社会に適応しないことだと思う。普通のレールから外れてしまうこと。一般的な道を外れることの大変さは身をもって知っているし、それなりの代償があることは理解している。普通のレールを外れた人はみんな特別になりたいからそうしたと言いたいわけでもない。ズレがあることを自覚したとき、私はとにかくそれを理解して認めてほしかった。私の場合のズレはなんだったのかな……みんなができることをなぜか私だけできない、というのが大きかったかな。対人関係も、学業も、やればできると言われてきたことは全部やれなかった。友達を怒らせないことや期限までに宿題を出すこと、テストのために勉強をすることが、私にとってはなによりも難しくてできないことだったんだな。でもそんなこと伝わらない。人から見れば甘えでしかない。それが苦しくて、ズレを理解してもらうために腕を切った。腕を切ったことをアピールした。暗い曲ばかりを好きになった。それをアピールした。多少認めてもらったけれど、解決はされず、後々ズレが大きくなっていき私は日常生活をやめる。

私が嫌いな病みアピールも、メンヘラだからの自己紹介も、根本は自分のズレを認めてほしいのかもしれない。自分の生きづらさが上手く解決されない時、関係ないようなアピールをしてしまうよね。個人的にはただの日常の話なのに闇を感じるような人間になりたいなと思っているよ。私の生きづらさはまだ解決されていないもの。まだ心に余裕がないからなにもできないけど、いつかそういう人たちの原因のズレを見つけて認めることができるようになりたい。

ふと気づいたらやりたいことが見つけられていた

 

ワー!めちゃくちゃ長いの書いたら全文吹っ飛びました!😊 心折れたけどもっかい書きます!😊 はてなブログ許さん

 

ずっと数字と科学が好きでした。記憶にある限りずっと、常に算数とか理科とか数学が得意科目だった。現代文も好きだったかな。

そのまま当たり前に理学部に進むつもりだった。ただずっと違和感はあった。確かに理数科目は好きだけど、あくまで学校の科目の中でなら好きなだけで、そこまで学びたい気持ちがあるわけじゃない。というか許されるなら勉強を辞めたい。めんどうくさい。そして理学部に進んで、その後はどうするんだろうか。教職だけは嫌なので一般企業に就職かなあ、楽しくないな。と思ってはいた。だけどほかの選択肢が思いつくわけでもなかったから、なんとなく理学部に進むんだろうなと考えていた。

 

いたんだけど。高2の冬、突然「心理学部に行きたい」と思った。きっかけも理由もわからないけど、ただ心理学部に行きたかった。というか心理学部以外に行きたくなかった。ただ、心理学って基本的に文学部にあるんだよね。理系に進むつもりで勉強してきた私の選択肢は、受験科目の関係でいわゆる難関国立しか残っていなかった。私立も含めるともう少しあるけれど、第一希望は国公立だったので。正直無理だと思ったし、今でも無理だと思っている。でも行きたい。人の心について学びたい。

 

そもそもなんで私はこんなに心理学を学びたいんだろう、学んでどうしたいんだろう、ということで今回のメインです。前置きが長いなあ。

答えを先に言えば、好きな人たちを理解したいからだと思う。好きな人たちの苦しさが、人間性が理解できないことがすごく嫌だったから。理解したい。きっと心理学を学んでもほんの少しわかるようになるだけだけど、そのほんの少しでもわかりたい。だから心理学を学びたい。それも、ちゃんとしたものを。本やインターネットを使えば独学でも学べるけど、それじゃダメだ。それじゃ好きな人たちのことはわからない。

 

どうやら心理学部に進みたい気持ちは好きな人たちをわかりたいことからきているらしい。こんなにもなにかをしたいと思ったことがなくて、私にもやりたいことってあるのか……となんだか安心したりもした。ただひとつ、やりたいことというのは結局自分の中から見つけた。やりたいことはずっとそこにあって、私がそれに気づいていなかっただけだった。どこにやりたいことが落ちているかわからないから、いろんなことをやってみましょうとは言うけれど、そうじゃないと思う。そもそも18年も生きていてやりたいことの片鱗すら見たことがないなんてありえないんじゃないか。美術であれ、学問であれ、それ以外であってもやりたいことに関連していることは見たり聞いたりしているんじゃないか。

私がやりたいことを見つけられたのはラッキーでしかない。でも、今すでに自分の中にあるものの中からでも自分の本当にやりたいことを見つけられる。探さずに、じっと、考えてみてもいいんじゃないか。そう思ったり。

優しい人になりたい

 

10時ぐらいに寝ると2時ぐらいに必ず起きて、しばらく眠れない。早寝をするだけで体調が良くなることはわかったけど、朝まで眠るって難しいなあ。

でも深夜はすごく好き。みんなが寝静まっている中で1人だけ取り残された感覚とか、やけにセンチメンタルな気分とか、いつもより切ない気持ちになりがちなとことか。

というか、切ない気持ちが好きだ。失ってしまった友達、もういない人、空回りする優しさ。みんなが優しい世界なのにすれ違って、どうにもならないものが好き。結局全員が幸せになることはできないってわかるから、安心できるのかもしれない。

優しい人が好きだし、ふと周りに優しい人ばかりなことに気づく。私がわがままだからかな。優しくあるためにいろんなことを我慢しがちなことをわかっているつもりだから、少しでも汲み取っていきたいと思っているけど、難しい。

優しい人になりたい。ずっと黙っていろんなことを許しているような、気づけない人はわからないような優しさを持ちたい。ないものねだりかな。「どういうあなたでもいいよ」という肯定が、許すことが、なによりも人を救うと思ったし、なによりも優しい行為だと思った。自分の中にある矛盾、悪い気持ちがあること、どうしても許せないこと、できないこと、ちぐはぐな言動、弱い部分、そういうものがあっていいし、隠そうとしなくていいのだと思う。もちろんなくしていこうとすることは大事だし、開き直ることは違うけれど、なくなることはないし、自己嫌悪や自分を責める理由にしてはいけない。

誰しもが矛盾や弱さを抱えながら生きているし、優しいあの人もきっとそのうちの1人だから、私もこういうものを持ちながら優しくなってもいいかなと思っている。自己嫌悪からくる優しさもあるし。

100点は取れないけれどいかに100点に近づくか、みたいな課題が人生には多いな。誰にとっても優しい人であることは無理だけど、それにできるだけ近づこうとしなきゃいけないのだと思う。少なくとも自分が好きな人たちに対しては。

そろそろ寝れるかな。明日は少し優しいことばを選ぼう。

どうしようもないこと

 

人を羨ましく思う時がある。私がどう頑張ってもできないことを簡単にやってのけてしまう人が多くて、できないに対する理解も得られず、息苦しいまま生きていくしかないのかな。すぐに諦めてしまうのはよくないことかもしれないけど、できないに対してもっと寛容な世界がいいな。それぞれ違う自動車で、最初から壊れている人もいて、そんな中なのにみんなが同じコースを同じスピードで走るなんて無理だと思うの。

いくつか病気が見つかって、その度に安心する自分がいる。やっぱり私甘えてないんだなって、私が感じてきた違和感はおかしくなかったんだなって、自分を肯定されたような気持ちになってしまう。ずっと頑張れなくて、頑張ってもできないことで怒られて、もう散々だったなあ。どうして私なんだろう。前世で人でも殺しちゃったかな。

どうしようもないことを目の前にして、それでも他人を責められる人と一緒にいるのがつらい。相手の立場で考えればわかることなのに感情のまま怒る人が嫌だ。誰も悪くないのに誰かを悪者にして吊るし上げたい人がこわい。私、生きていくのに向いていない。

 

でも人と喋るのが好き。みんなが思うこととか、知ってることとか、下らない話とか、そういうことが好き。話を聞いてもらうのも好き。上手に話をするのはまだできないことだけど、少しずつお互いに楽しい会話ができるようになりたいと思う。

一般的な努力は凄く苦手だけど頑張ることは好き。なにかを一生懸命やることってこんなに楽しいんだなって。私は友達と一緒にやる方が好きみたい。

好きだけど苦手みたいなこともたくさんあるし、どうしようもないことがいっぱいあって苦しくなるけど、少しずつできることを増やしていこうと思う。他人に迷惑をかけたり、助けられたりが多いけど、きっとそれを避けては生きていけない。まだ上手く生きれないけど、いつか上手に生きれるようになれたらいいな

部活をやってて思ったことまとめ

 

人にはいろいろな価値観や抱えてるもの、得意不得意があるなって最近よく感じます。だからこそ、人に優しく自分に厳しくいたいと思う。

みんな、自分の持っているものを他人に求めすぎなんです。遅くに寝ても起きれる体力、疲れてても頑張れる気力、朝早く起きれること、誘惑に負けずにいられること、これらは全部たまたまもっている体力や環境、自分への自信、周りからの好意、そういうものがそうさせているにすぎないのに。自分がたまたまできるだけのことを、みんな他人に求めてしまう。私だってそうです。

努力を努力じゃないって否定するつもりは無いし、たまたま持っているものは持っていてラッキーって思ってていいのだけど、そもそも努力ができない人がいること、みんなが当たり前にできることを努力してもできない人がいること、そういうことを忘れたくないし、忘れないでほしい。


もしかしたら、家族関係が上手くいっていないのかもしれない。自分より体力がないのかもしれない。誰も気づいていないだけで病気になっているかもしれない。もともと苦手なのかもしれない。どうしようもないことに縛られて、どうしてもできないことってあるんです。
誰かが遅刻した時に、まずは「大丈夫?なにかあったの?」って聞いてあげてほしい。そのあとに、寝坊しちゃってって返ってきても、「そっか、疲れてたんだね」って言ってあげてほしい。寝坊が続いてしまうようなら、一緒にどうしたらいいのか考えてあげてほしい。そして本人も周りの優しさに甘んじることなく、深く反省してほしい。そういう関係がいちばんいいのだと思います。

 

甘やかしてるとか、そんなふうだとどんどん緩くなっていく、って言われるかもしれないけど、みんなが自分の仕事を一生懸命やっていられるならゆるくなっていかないと思います。みんなが頑張ってる中でサボるなんて難しいもの。そういう人はきっとわざわざ部活なんてやらないです。
他人を責める権利なんて誰にもないです。みんなできないことはあるから。他人のできないことを責めていいのはなんでも完璧にできる人だけです。


たぶんこれって理想論だし、極端に言うなら私は自分が責められたくないからこんなことを考えます。私はどうしてもできないことがたくさんあるから、それを許してほしいし、他人のことを責められないです。私にそんな権利はないです。私にできるのは、大丈夫だよって許して、一緒に反省することだけです。
私はこんな世の中だったらいちばん頑張れるなって思います。みんな頑張れるなら頑張りたいと思います。成長したいだろうなと思います。
どんな失敗も、できないことも、許してあげてください。失望しないで一緒に対策を考えてあげてください。どうしてもできないことは、誰かが代わりにやってあげたり、手助けしてあげたりしてください。


私は部活をこういうふうにできなかったです。というか、最近やっと気づいたから、遅かったです。残り少しでこういうふうにできたらいいなって思ったりもしてます。私はこれからも誰も叱らずに、その代わりに一緒に反省しようと思います。それが私の仕事なんだと思います。

おわり

 

誰にでも優しくとか、1人でも強く生きれるようにとか、求められるものって実際は不可能なものばかりだ。誰にでも優しくしたくても許せない人はいるし、1人で生きたくても1人ではできないこともある。

でも、なれないとわかっていても少しでも近づこうとするのって、凄く人間らしいなと思った。なれなくていいし、できなくていいんだけど、だからといって近づこうとするのをやめてはいけない。無理をする必要は無いし、過剰に頑張る必要も無いけど、周りが許してくれるからいいやってなってしまってはいけないよな、と最近思って、だから私はそういうふうに考えてなさそうな人が嫌いなんだと思った。

私が自分に課しているルールがあって、それは人として必要なものだと思ってるから、そういうルールを持ってなさそうな人と関わるのが本当に嫌だ。向こうにも向こうのルールとか、つらいこととか、そういうのがあるのはわかってるんだけど。

私はなににもなれないし、なにもできない。きっとこの先もそうだと思う。

 

病み垢界隈とかファッションメンヘラとかを見かけて、たまに自分と比べてしまう。

自分のつらさを他人にわかってもらえるのもひとつの能力なんだと思った。つらいのに、わかってもらえないなと感じる。自分で自分が甘えてないと言い切れないから、自分の中で甘えてないかどうかの葛藤があるから、他人につらいアピールができない。甘えてるだけだから。

誰も知らなくていい。私の腕に傷跡があることとか、机の中にたくさんの空き瓶があることとか。誰も知らなくていい。これは自分がつらいことを、自分に証明するためにしたことだから。自分がつらいのかわからないから。腕を切れば自分はつらいと証明できる気がしたし、たくさんの薬をのめば、空き瓶は証拠になってくれる気がした。他人につらさをわかってもらえなくていい。ただ私が今つらいことを、他人に認めてほしい。自信が持てないから。他人の同意なしでは自分の気持ちさえ認められないような人間になってしまったな。

 

他人に君はつらくないよ、と言われたらつらくないわけでもないな。他人が認めてくれなくても、私の中につらさは確実にある。皆がこんなに苦しいはずないと思っている。今はもう随分とマシになったけど、思考のクセはとれないし、常に自分が悪いと思うのもやめられない。むしろどうして全部他人のせいにできるのか不思議でならない。

皆は腕に蚯蚓脹れみたいな傷跡がある?皆は机の中にたくさんの空き瓶がある?こうやって証拠として突きつけるためにしてきたわけではないはずなんだけど。

でも、切る時はもっと深くしないと誰もつらさを認めてくれないと思ったりもしたな。気づいて、助けて、って気持ちが確かにあった。

 

空き瓶は捨てればなくなるけど、傷跡はなくならない。私の人生がつらかった証拠として今後も必要になるし、足りなければ増やすかもしれない。幸せな人生が遠い。待ってくれないし、まだまだ健康にもなれない。好きだと思える人がいてよかった。